01.邂逅

 降ってきたのは、刃。

 人気のない夜の街路地に、街灯の明かりに照らされて鈍く輝く白色の大刀。殺意を纏って振り下ろされるそれは、黒髪の青年の命を刈り取る死神の刃となって迫る。

 その青年が両断されようとした瞬間、姿が掻き消えた。標的を見失った刃は、代わりにアスファルトを破砕する。

 渾身の力で振るわれた刃は、アスファルトに固められた大地でも受け止めることができず、小さな隕石が落下したかのような痕を残す。

 青年は咄嗟に前方に跳び、刃を避けたのである。

 後ろ髪の一房を長く伸ばした、端正な顔立ちの青年。青みがかった黒き瞳は、黒蛋白石を思わせる輝きを放っていた。

 黒の防護外套を羽織り、左右の腰には一振りずつ刀が差されている。

 格好だけでなければ、彼は霊術士と呼ばれる者だ。

 この世界に存在する全ての物体に宿り、森羅万象を司る要素――霊子。

 世の理に沿って霊子を意のままに操る存在を、霊術士と呼ぶ。

 その彼に大刀を振り下ろしたのは、身長二メートルに迫ろうかという長身の男。浅黒い身体は鍛え抜かれた筋肉が肌を押し上げ、戦士の姿を作り上げていた。

 彼もまた、霊術士と呼ばれる者。先の一撃が物語っていた。

 男はゆっくりと大刀を持ち上げ、下段の構えを取る。

「いきなり何だ?」

 距離を取り、警戒を自身に施す青年の疑問は当然だった。

 しかし、男は答えない。返答の代わりなのか、自らの肉体に鋼の装甲を展開していく。鈍色の鋼が男の全身を包み、堅牢な甲冑となる。

 鋼鐵系霊術第三階級《鋼装殻鎧》が展開する金属積層鎧。厚さ三センチメートルもの鋼の装甲を形成するその霊術によって、男は一人の騎士となった。

「……仕方がないな」

 黒髪の青年は呟き、腰に差した二振りの刀の一つを抜き放つ。それと同時に、熱気が溢れてくる。

 溶岩を思わせる真紅の刀身に内包された熱が、陽炎を纏わせる刀。紅き刃は自らを誇示するかのように、闇の中でも薄らとその身を輝かせる。

 そして、男が踏み砕くように大地を蹴る。僅か一足、それだけで男は鋼の砲弾となった。

 その巨体に超重量の甲冑を身に纏いながらも、信じられない速さ。生体強化系霊術を発動させているのだろう。

 それは青年も同様だった。全身の筋力、神経を可能な限り強化し、自らも駆ける。

 そして、戦が始まった。

 二人の姿が闇の中に消えると、刃が凄まじい速度で放たれ、数十条の斬撃が荒れ狂う。

 踏み込む度にアスファルトが砕け、刃を放つ度に彼らの間に挟まれた屑籠や街灯が一瞬で幾つにも斬り分けられ、刃が交わる度に火花が生まれて二人の雄姿を切り取る。

 白と紅の刃が織り成す、剣戟の嵐。その嵐は、両者の刃が大きく激突することによって収束した。

 互いの刃が火花を散らし、悲鳴とも取れる金切り声を上げる。

 拮抗は、すぐに崩れた。

 男が誇る膂力で力任せに青年の刀を弾き返し、態勢が整わぬうちに大刀を上段へと素早く持ち上げる。

 刃が霞となった。

 実際にそうなった訳ではない。それほどの速度で振り下ろされたのだ。

 だが、再び天から降ってきた刃を、青年は僅かに身を引いて再び回避する。

 必殺の一撃は、正に相手を死に至らしめることができる一撃。だが、避けられれば自身を危地に追い込む諸刃の一撃だ。

 それが今、その瞬間だった。

 両腕を斬り落として戦闘不能とさせる。青年はそう考えていた。

 だが、それが誤りだったと男の動きで悟った。

 振り下ろされた刃は再び大地を砕こうとした瞬間、急停止したのだ。そして、再始動。刃は下段から迫る突きとなって青年を急襲する。

 反撃に移ろうとしていた青年は顎を貫く切っ先を、寸前に首を振って避ける。だが、態勢を崩した青年の頬を、右の拳が捉えた。

 鋼鉄に包まれ、更に大刀を易々と扱う力を伴った拳は、正に鉄拳。

 余りの威力に頬骨が砕け、首までも捻じ切られそうになる。そうならなかったのは、咄嗟に首を捻って威力を相殺したからだ。

 意識が彼方へ飛んでしまいそうになるのを必死に意志の鎖で繋ぎ止め、眼前の襲撃者からも視線を外さなかった。

 その目が捉えたのは、三度刃を振り下ろそうとする男の姿。三度目の正直とでもいうのか、断頭台の如き垂直の刃が躊躇せずに落とされる。

 青年は殴られた反動を利用して右足を軸にし、自らの身体を回転させて刃から逃れる。切っ先が屠ったのは、青年の長く伸びた一房の髪の僅か一部のみ。

 そして遠心力をそのまま利用して、紅の尾を引く斬撃を放つ。刃は男の二の腕を覆う装甲に吸い込まれた。

 真紅の刀が装甲に食い込むと、何の停滞もなく斬り裂いていく。高熱を内包した刀身が、鋼の装甲を焼き切ったのだ。

 鋼は一六〇〇度もの高温とならなければ、融解させることはできない。更に霊術処理を施された装甲は、それを上回る熱を以てしなければ不可能となる。

 だが、青年の刀が放つ熱は男の鎧を蝕んでいた。それほどまでの熱を、刀は宿しているのだ。

 何より、五行の理によって火剋金――火は金属を溶かす相剋――の関係にある。

 その二つの要因が、男の金属積層鎧を焼き切ったのである。

 そして刃は装甲を紙のように切断していき、その下に隠された女の腰ほどもある上腕をも斬り裂いていく。

 熱と斬撃、二つの痛みに苛まれながらも、男はそれ以上の侵攻を防ぐ為に蹴りを放つ。爪先が速射砲の如く撃ち出されるも、それよりも速く青年は刃と共に身を引き、距離を取る。

 男は無事な腕を持ち上げて掌を青年に向けると、そこから淡い燐光を零す構成陣が現れた。

 鋼鐵系霊術第二階級《鋼穿槍》が形成する、金属槍の群れが青年を追撃しようと飛来する。

 その時点で青年は、襲撃者が何者であるか判っていた。

 肉体が本来持ち得る能力を超越させ、極めた者を超人とする生体強化系霊術。

 五行の一つであり、金に属する全ての物体を自在に操る鋼鐵系霊術。

 それら二つの霊術を扱う、金剛士と呼ばれる霊術士だいうことを。

 青年の眼前にも、瞬時に構成陣が描かれる。赤光に輝く、男が作り出したそれよりも更に複雑な構成陣が。

 炎熱系霊術第三階級《業炎破吼》。炎で作られた三〇センチメートル程度の砲弾が発射され、迫り来る槍を迎撃する。

 一つの穂先に接触したとき、砲弾は一気に膨れ上がって炎と熱と衝撃を一気に吐き出した。

 戦車砲と同等の威力を持つ砲弾が槍の群れを駆逐し、無害な霊子の粒へと還す。吐き出した熱波は尚も止まらず、男を飲み込もうと顎を開けて迫る。

 男は横に跳躍して炎を回避するが、それは青年にとっては計算のうちだった。

 あれだけの高速戦闘をこなす金剛士が、この程度の霊術を避けられない筈がない。

 防御することも頭の片隅で考慮していたが、鋼鐵系の防御霊術では炎熱系の攻撃霊術を防ぐことは不可能に近い。

 そして青年の二度目の予想は的中し、男は避けた。青年はすぐに焔の刃を水平に構え、男の着地地点へと疾駆する。

 防御のみ許された状態の男に刃を振り抜こうとした直後、青年は右に大きく跳び、男との距離を離す。

 その直後、先まで青年が居たアスファルトに紫電の穂先が突き立ち、幾分抉って弾けた。

 雷電系霊術第三階級《雷霆槍》の一撃。

 青年の黒の双眸が、左手に向けられる。そこに立つのは、右手に未だ雷を従え、刺し貫く為だけに造られた刺突小剣を持つ銀髪の美女。

 闇から切り取ったような漆黒の戦闘服を身に纏い、彼女の蒼い瞳が放つ氷点下に達する冷たい光は、青年に向けられている。

 口内に溜まった血塊を路上に吐き捨てると、僅かに白が混ざっていた。へし折られた数本の歯だ。

 それを見た青年は、青黒い痣を刻まれた頬を苦々しく歪める。

「まったく、何だっていうんだ……」

 見に覚えのない襲撃に、愚痴を零す青年。

 だが、その声とは裏腹に彼の戦意は高揚を始めていた。自身でも気づかぬうちに。刀も主人に応えるように身を纏う熱量が増し、更なる陽炎を作る。

 男もそれを感じ取ったのか、何時でも最大の膂力を発揮できるように全身の筋肉を撓める。

 女が持つ小剣の切っ先に、霊術の構成陣が紡がれていく。その霊子の量、構成の複雑さから、第五階級ほどの強力な霊術だ。

 三者の攻撃が今にも放たれようとしたとき。

 遮ったのは、一条の光。

 二人の間を切り取るように光線がアスファルトを舐める。白煙と厭な臭いが立ち込め、双方の鼻腔を刺す。

 直後、まるで躾のなっていない犬を嗜めるように、手を叩く音が響く。

「はーい、ストップー」

 次に飛んできたのは、場違いなほど間の抜けた声。すぐに、声の主が路地の闇から姿を現す。

 ブランド物のスーツとパンツを身に纏う、髪の長い女性。会社員のようにも見えるが、柄と穂先を分解して腰に収納した長槍がそうではないと主張していた。

 彼女の後ろには、対峙する男よりは低いものの、長身の男性が控えるように立っている。担いでいるのは、先端に幾つもの鋭い鋲が備え付けられた、如何なるものも破砕する巨大な鎚。

 両者共に霊術士だろう。それも、高位に位置する存在だろう。

「邪魔をしないでもらおう」

 男が、金属鎧の中から殺意が滴る言葉を吐き出す。 「関係ない人を殺そうとしてるんだから、邪魔もするって」

「関係ない?」

 男の疑問に答えたのは、背後の男性だ。

「確かに格好や得物は似通っているが、彼は目標とは違う。よく見れば判ることだろう」

 諭すように紡ぐ男性の言葉に男は、

「……確かに、違うな」

 と、甲冑の奥に隠された灰色の瞳で青年を凝視すると納得したように呟き、積層鎧を解除していく。

 人違いで殺されそうになったのか。

 青年は胸中で愚痴り、怒りを通り越して呆れた。

「それに、結構危なかったじゃない。あの子が居なかったらやられてたと思うけど?」

 雷撃を放った女を指差しながらの女性の言葉に、男は憮然とした顔で鼻を鳴らし、千切れかかった腕を修復する。どうやら、生体治療にも秀でた剣士らしい。

 女性は気を悪くした素振りを見せず、逆に悪戯をする子供を見守る母親のような柔和な笑顔を見せる。

「所員が早とちりしてゴメンね。できれば訴えないでくれると嬉しいんだけど?」

「……そんな面倒なことはしませんよ。それに、訴えようとしたら全員を相手にすることになりそうだし」

「こっちもそんな乱暴なことはしないわ。約一名を除いて」

「一々引き合いに出すな」

 やはり憮然とした表情で告げる男は繋げた腕の状態を確認すると、去っていった。

 それにもやはり笑顔で応える女性は、思い出したかのように口に出した。

「あ、そうだ。早いところ逃げたほうがいいわよ」

「え?」

 突拍子もない言葉に間抜けな声を上げるしかできなかった青年は、男を追うように足早に去る彼女たちを見送った。

 頭の中には疑問符が乱立していたが、それらを吹き飛ばす音が鼓膜を破るように飛び込んできた。

 音源に目をやると、黒塗りの警察車両――小型の霊術装甲車が闇夜を切り裂いて滑り込んでくる。

 装甲車が青年の前に急停止すると、後部に設けられた扉を乱暴に開けて多数の警察官が溢れてくる。

 只の警察官ではない。鈍色の軽霊機関銃と藍色の霊術積層鎧で武装した、過剰とも取れる井出達。

 霊術を以て殺人や誘拐などの凶悪犯罪に対処すべく編成された、特殊制圧部隊に所属する警官たちだ。

 先の戦闘を目撃した誰かが通報したのだろう。目撃されないほうがおかしいが。

 彼らは青年を逃さぬよう包囲し、機関銃を掲げて青年に突きつける。おかしな真似をすれば、即座に射殺するだろう。

「……そういうことか」

 数多の銃口に曝されながら、青年は両手を挙げて呟いた。